それはそうと、10月半ば、部屋の片付けをしてたらこんなのが出てきた~、というのをここで公開しようかと画像スキャンして用意してたのにそのまま放置状態だったのを思い出したので、1ヶ月遅れで公開してみようかと。
で。何が出てきたのかというと、秋葉原で配布されていた「AK gazette/エーケー・ガゼット」というA4より一回り大きいサイズの情報誌です。1991年の、時期はまさに今頃の冬号。クリスマス商戦内容となっています。
十年一昔と区切るのなら、二昔ほど前の物ですかね。
んで、それがこれ。

ホッチキスで中閉じされた新聞みたいな感じの作りです。
'91年という年代的に、PCが一般化したと言ってもいい(と思う)Win95の登場はまだ先のことで、秋葉原もまだ『家電の街』だった頃ですかね。
では中身をちょっとばかし見てみますかにょ。
(スキャンがヘタなのはしかたないね。※電話番号箇所に修正を入れてあります)
まずは巻頭記事より。

基盤を表紙に再利用したバインダーの記事や、ビデオプリンター、マイケル・ジャクソン邸の庭にもあるという岩型スピーカーの記事など。
写真割愛ですが、前のページには溝口健二のLD記事やマーク・レビンソン(アンプ)の記事、隣のページには竹中直人インタビューとか。
続いては、『テレビがカラー化に次ぐ、大きな進化の一歩を踏み出した』と記事内に書かれた、横長及びフラット画面テレビの紹介ページ。


見ると表記が「3:4」、「9:16」と、小さい数字を先に呼称してますね。
今のように「4:3」、「16:9」ってのはいつ頃から言い始めたんだか。
見えるかとは思うが、12ページ掲載の東芝のバズーカ・ワイド36H-ED1はお値段120万!うひゃ~。
でもなんだか写真を見る感じ、フラット画面では無さそう。
続いては秋葉原情報ページ。

「T-ZONEミナミ」になる前の「ザ・ミナミ」。その後はラオックスの「アソビットCITY」になり、そして今(ドンキ)に至ると。



こちらの「T-ZONE」は現ツクモexビル。

「さか井」は一時期よく通っていて、秋葉原に来るとほぼ決まってここで食事をしていた。
これに掲載されてる「すきやき丼」を食べてみたいと頼むのだが、いつ行っても品切れと言われて注文できなかった。
ある時とうとう食べることが出来たが、期待していたほどではなかった。(その後、味の確認のためにもう一度頼むがやはり評価替わらず、その後は注文せず)
また、ラーメンを頼んだときにちょっとした事があり、それ以来足が遠ざかっていたのだが、気が付いたら現在のような定食屋に替わっていた。



秋葉原ストーリー①秋葉原電気街の誕生


29ページ上、文字が見辛いので書き起こすと、『昭和27年に当時としては珍しい4階建てビルを建築中の山際本店』。
その右側は『写真左のビルも昭和43年に角地まで拡張、現在のヤマギワ東京本店となる』。
ヤマギワの頃はソフトの品揃え良かったけど、ソフマップになってからは使えない店になってしまった。
広告ページなどを経て、メインとなる「'91新商品コレクション」へ。

「特集1BSアイテム」として、BS内蔵テレビ&ビデオ記事。



BS&ビデオ内蔵「画王」、29"で33万がここでの最上位。
ビデオデッキの方は色々と。左上のHITACHI機は、長時間録画のためにとビデオカセットが2本入るキワモノ仕様。
まさにバブル期の生んだキワモノというか(w
余談ですが、うちで使っていたのは、ここには出てないけど、パナソニックのBS録画王(NV-BS900)と、型番忘れたビクターのBS内蔵デッキ。
この頃のは造りもしっかりしていたので、以前も書いたが、DR-MX5の中身を見てそのちゃちさに何だこれはと落胆した。
そのBS録画王は10年くらい使ったところで電源系統がおかしくなったので修理に出したのだが、交換部品が無いことから修理不可能となり、ネットを通じて、欲しいと希望した人の手に。
某メーカー勤務の技術畑の人だそうで、取引時に、直りそうだったらその旨報告すると言われたがそのまま連絡来ず。ダメだったのかな?(こっちとしても直るのか興味有ったので律儀に待ってたんですけどね)
ビクター機は、最初に買ったのがここのだったために(ステレオビデオデッキ。Hi-Fi機はまだ高かった)、その後も刷り込みのように同社製品を数台使い続けてたが、とにかく走行系がダメでよくテープを噛んでた。
あと時計がよく狂ってたね。
メーカーの修理員が来たときにそれ言ったら、これは時計ではなく、単に中でカウントを取ってるだけなんだと言っていたが、だからそれが時計機能なんじゃないのだろうか?
それにしてもあのころは録画やダビングに熱中していたなあ…。
何をトチ狂ったか、日テレで再放送されてた新ルパンの全話録画を考えたりとか。
結局は、トラック無線で画面がつぶれて失敗したり等から頓挫中止になったけども。
(俺などはノーマルVHS3倍録画計画だったが、友人はS-VHS標準で録るなどと…)
因みにこの時のルパンですが、当初は全シリーズ再放送の予定でした。
でも1stは見送られ新ルから。その新ルが終わる頃には局も熱が冷めたのか、予定されてたPart3も未放映に終わりました。
因みに自分は1st派(さらに言うと初期派)ですんで。(そのうちルパンとか、好きなアニメについて何か書けるといいなあ)
そういや侍ジャイアンツも再放送予定あったくせに中止になったな。たしかその時期の巨人軍の成績がふるわなかったからとTV番組誌には局の理由として出ていたような記憶が。
んなの関係ないと思うんだけどなあ。
まあこっちとしては、古い作品に加え言葉狩りがうるさかった時期だったし、
そっち方面理由なんだろうなと思ってましたがね。
さて。話が逸れましたが、広告ページを挟んで「高画質AV」特集。


大画面テレビとして上がった最上位はMITSUBISHIの横長36型、88万!説明を読むと「16:9」と、今と同じ表記ですね。じゃあさっきのページだけが特殊?
東芝は地上波ダブルチューナー内蔵、SONYはハイビジョンコンバーター内蔵で、共に4:3画面テレビ。
欄外に出てるのはLDコンパチ機。5種類の光ディスクが再生可能とあるが、その内訳は、30cmLD、20cmLDシングル、
CDV、
VSD、12cmCD、8cmCDシングルの6種類。え?
どれが同一種扱いなんだろう。わけがわからん。まるで
スペインの宗教裁判だ。
お次はアウトドアAV機。

ヘッドフォンステレオの主流はまだまだカセット。
CDウォークマンなんてのもあったけど、普及はイマイチだったのかしら。
MDが出てくるのはもう少し後ですかね。書いてないって事は。
MP3プレイヤーなんて物が出来るだなんて、この頃は想像もつかなかったなあ。
小型テレビは、出先で長時間待つとき(この頃だとコミケの入場待ちw)とかには便利に思ったけど、やっぱりお値段が…。
やはりこの頃に、PCエンジンLTという4"カラー液晶にTVチューナーを内蔵したラップトップ機があったけど、こちらもお値段は99,800円と高価だった。

ビデオカメラは『パスポートサイズ』などと謳ってる頃のです。
「カジュアルオーディオ」としてミニコンポなど。



やっぱりMDはまだ出てませんね。調べてみたら、普及は
1992年だそうで。
またも余談ですが、我が家のMD期はほんの数日で、結局またカセットに戻りました。
51ページのCDラジカセから文字説明。
「コブラがしゃべった
!これは大ニュースだ」
Panasonic RX-DT909 66,000円(税別)
消費税表記もまだ外税が普通だった頃ですね。
んでこの機械ですが、「コブラトップ」なる機械がしゃべるようになったと紹介されています。
「おはよう、9時30分です」とか、「10時から11時まで録音します」なんてしゃべるんだとか。
「これでひとり暮らしも寂しくないやい!」などと締めくくられてるけど、う~む…。
こういうのって最初のうちだけで、途中から、うるせえよって思ったりしちゃうオチに15ケチャック。
で、コブラの声は野沢那智ですか?それとも山田康雄?もしかして松崎しげる?
頭の方にも書きましたが、1991年当時の情報誌なので、当然乍らにWindows95は世にありません。せいぜいWindows3.0の頃ですかね。
そんな時代のパソコンたちです。

一体型のFM TOWNSⅡ、カラー画面になった98ノートなどなど。ノートはまだ厚いですな。


電子文具3機種とワープロ専用機。
当時バイトに行ってた某宅配会社でも、「俺も電子手帳持ってるんだ」と社員の人がおもむろに取りだしたけども、結局、使い方がまだよくわかってないと言ってしまっちゃったw
竹村健一を
見習うべきなんだぜw
ワープロ専用機はむか~~~~~し、なぜか姉が友だちから借りてきたというのをいじらせてもらった事があったけど、その時の機械は、画面は2行か3行くらいしか表示できないという、今から(この頃からも)するとなんともお粗末な機械でした。
たぶん見て面白い(?)のはこの辺までだと思うので、これ以降は割愛。
因みに出てたのは、最初にも書いたとおりまだ家電の街時代の物なので、電話機、「特集2ヒーター」としてエアコンやホットカーペット、冷蔵庫に炊飯器、洗濯機に掃除機と言った品々たちでした。
掲載ページは最初の方だけど、まとめ的にここでこの当時の秋葉原の地図をば。

比較する今の地図は、インプレスの
AKIBA PC Hotline!あたりを見ればいいんじゃないかなと。
情報誌としての比較だと、少し前に発行開始した「
オタポケ」とか。
秋葉原は、中学の頃に何度か訪れたことあったけど、主に付き合いでだったし、駅出てすぐの線路下のお店とかを見てたくらいしか覚えがないです。
この冊子はその数年後、ビデオデッキかミニコンポを買った頃に入手したものじゃないのかなと。
この当時の秋葉原の状態は覚えてないけど、こうして地図で見ると、まだPCは極一部のビジネス層や、それこそヲタクのアイテムであって一般向けではないみたいですね。
やっぱりまだまだ「家電の街・秋葉原」だったと。(紹介誌が紹介誌ってこともあるんだろうけども)
このAKガゼットも当時はごく当たり前の秋葉原情報誌だったわけだけど、こうして年数経過すると、いろいろと深い物がありますな。
現ツクモexの黒ビルは元T-ZONEだったんだなとか。サトームセンなんか素敵なサムシングで懐かしいねとか。第一家電はうちの地元にもあったなとか。ドンキとパチ屋はアキバにゃいらねーだろとか。今のアキバは、国家権力を笠に着た税金泥棒軍団による日頃の鬱憤を晴らすヲタク狩りがうざいのでゆっくり店を見てまわれないよなとか。
古くから行ってる人からすればもっと細かい変化が判るんだろうけども。
そしておまけコーナー


1992年のPC本より、今は亡きSTEPの広告ページ。
PC-8801SR使ってた頃、ここ(たぶん秋葉原店2)でモニターを購入しました。
(ソフマップの店頭カタログ誌を見て、安い!と買いに出るも、それは誤植という名のウソ表記だったので)

同誌より、日本マイコン流通センターの広告ページ。
こちらは1991年のテクノポリスより、ゲームソフト通販の広告。


「沙織」とかの事件が起きたのはこの頃ですね。
懐かしいと言えば懐かしいけど、厳しくなってきたのはこの頃からでしょうか。
そのうち、手持ちの規制時代のエロマンガもちょっと公開してみたいと思います。
とことで!
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